「人生」 
プロレスとは、夢を売る商売である。 リングの上は仮想の現実であり、
プロレスラーもまた、架空の人物であると思う。 ファンの脳髄が勝手に
キャラクターを作り上げ、自分の理想像を押しつける。 実体が、どうで
あるかはあまり関係ない。 私自身、熱狂的な猪木ファンであるが、直接
会ったこともないし、会う必要もないと思っている。 私の中には今でも、
強い猪木がいて、延髄斬りやら、卍固めやらを決めているのだ。
そんな私をひどく刺激するのは、あの「イノキボンバイエ」である。
あの曲が流れると、まるで「パブロフの犬」かのように激しく反応する。
昂揚するのである。 外的刺激を受けて、私の中の猪木がステップする。
いやはや、恐ろしいものである。
逆に、私を鎮めてくれる人が新崎人生なのだ。 シャラーンと音が鳴り、
経が聞こえてくると自然に心が落ち着いてくる。 正確に言うと、これは、
「新崎人生」が、と言うより「経」が、と言う方が正しいのかも知れない。
しかし、私の中では徐々に、「新崎人生」と「経」がセットになってきて
おり、こちらもまた「パブロフの犬」状態になりつつある。 プロレスに
「経」とは、なかなか憎いことしてくれるものである。 試合前に、心を
鎮めるプロレスラーなんて見たことがない。 コーナーポストに上がって
煽るのもありなら、逆もまたありというわけか。 この非凡な感性には、
正直、驚いてしまった。
繰り返して言うが、プロレスとは、夢を売る商売である。 観客の心に
訴えることができなければ、そのプロレスはプロレスではない。 そして、
その訴える力と言うのは、ありきたりでない「芸」の底力が作り出す迫力
なのではないかと思うのだ。 一流のプロレスラーは、入場シーンだけで観客を満足させる。それは単に、パフォーマンスが面
白いとか、派手だとかということではない。 入場のシーン自体が、芸術として心に響いているということだ。そういう点からみても新崎人生というプロレスラーには、刮目しないわけにいかない。
真っ暗な場内で、彼ひとり、リング上でスポットを浴びる。 その絵は
まるで、一本の白い菊が立っているように見える。 菊とは群生するもの
なのだが、新崎人生はひとりで立つ。 清濁を全て受け入れて、汚れても、
透き通ってもいく。 所詮、人とはひとりで生きるもの。 ひとりきりで
立つものだ。 そう諭しているように見える。 彼の背中は、時に力強く、
また、ある時には悲しくも映る。
それは、私たちが忘れかけている潔い生き方の象徴。
まさに、「人生」である。
文・桃太郎(夕刊プロレス代表)
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